―青年団リンクホエイは「珈琲法要」1)青年団リンクホエイは2014年10月「珈琲法要」(津あけぼの座)で登場。から2年ぶりに三重での公演となりました。三重との関わりについて教えて下さい。
河村:初めて三重に来たのは2007年で、三重県文化会館が平田オリザを招いて『隣にいても一人 –三重編–』2)「隣にいても一人〜三重編〜」は平田オリザが脚本・演出を務め、三重に長期滞在して選抜した俳優と共に製作。2007年9月に三重県文化会館で上演された。をクリエイションした時でした。その時は、スタッフとして滞在制作に関わりました。それ以降、大体二年に一度くらい、青年団の本公演を俳優として、上演しに訪れていますね。
いつか自分で作品をプロデュースして、三重に持っていきたいとずっと願っていました。
山田:三重には2011年の一人芝居フェス「INDEPENDENT:2SS」3)INDEPENDENT:2SS。大阪・日本橋の劇場インディペンデントシアターが毎年秋に開催している「最強の一人芝居フェスティバルINDEPENDENT」のセレクション公演として行われたのが「2SS」。2011年に三重県文化会館で上演。2016年に3rdシーズンのセレクション公演が2016年8月に四天王寺スクエアで上演された。
山田百次は「2SS」に「或るめぐらの話」を上演。
以降、
2012年6月 劇団野の上「ふすまとぐち」(津あけぼの座)
2013年7月 劇団野の上「不識の塔」(三重県文化会館)と上演で初めて訪れ、その後、劇団野の上「ふすまとぐち」「不識の塔」4)INDEPENDENT:2SS。大阪・日本橋の劇場インディペンデントシアターが毎年秋に開催している「最強の一人芝居フェスティバルINDEPENDENT」のセレクション公演として行われたのが「2SS」。2011年に三重県文化会館で上演。2016年に3rdシーズンのセレクション公演が2016年8月に四天王寺スクエアで上演された。
山田百次は「2SS」に「或るめぐらの話」を上演。
以降、
2012年6月 劇団野の上「ふすまとぐち」(津あけぼの座)
2013年7月 劇団野の上「不識の塔」(三重県文化会館)と上演。そしてホエイ「珈琲法要」と訪れてます。もう4回も来ているんですね。その度に色んな方と出会い、差し入れなんかもたくさんもらったりと三重の皆さんは僕らを温かく迎えてくれます。本当にいつもお世話になってます。
―今回のホエイは前回「珈琲法要」に続き、北海道が舞台です。なぜ北海道なのでしょうか?
山田:北海道は開拓の手が入ってから150年ほどの歴史があるんですね。そこには東北、四国、本州各地から、それぞれの事情で開拓に入り現在の北海道を形成しているんです。多様な人種や文化、方言が混在していて、そこが日本の他の土地とは違う。これにはものすごく惹かれます。
「珈琲法要」、今回の「麦とクシャミ」で北海道二部作なので、もう一つ作って三部作にしたいと考えています。
河村:北海道という土地は沖縄を除いて、日本で唯一国境を感じることができる土地だと思います。稚内にいけばロシアの漁船が湾岸に停泊していて、港に行けばロシア語もよく見かけます。20世紀は一時的にはアメリカと戦争をしましたが、基本的にはロシアとの戦いの世紀だったといっていいと思います。そのために大陸に進出もしましたし、戦後は国内に米軍を残しました。
この19〜20世紀にアジアで起きたこと、日本が起こしたことに僕は関心を持っています。その起点を今は北海道において考えてみたい、というのが一番の強い動機なんですね。
だから次は近現代の北海道を取り上げたいです。
―「麦とクシャミ」の見所、教えて下さい
山田:終戦間際に北海道のある所に、突然、山が生まれたこと、その情報は国によって厳しく統制されたこと、山ができていく様子を克明に記録していた郵便局長さんがいたことなど、とてもドラマチックなことが起きていました。人の営みと国の営みの両方が起きているんです。その点を感じてもらえたら嬉しいですね。
河村:どんな時代でも、人間は必死に生きているし、だらしなかったり、笑顔もあるし、妬みだってあります。だんだんと戦争の時代が遠くなっていく中で、僕はその人間が持つ普遍性を見つめ直したいと思いました。火山の誕生との対比することで、人間の生の儚さがぐっと浮かび上がった作品になっていると思います。
―東京公演の反応や手応えはいかがだったでしょうか?
河村:「山田百次の最高傑作だ」と、おっしゃっていただけた方も多かったです。僕もそう思います。戦局が一番激しく、ステレオタイプに陥りやすい、一見すると一面的であるように思えるこの時代を、高い解像度で粘り強く書いたんじゃないかなと思います。
山田:昭和新山の存在を初めて知ったという人もいたり、存在は知っていたが、こんなエピソードがあったなんて知らなかったという驚きの声もあったんですが、なによりも、当時の人たちの醸し出す生活感によって、だいぶ昔の話だと思われていたものが、より身近に感じられたようです。そこがなによりも良かったですね。
―ホエイという集団での2人の役割はどんな感じなんでしょうか?
河村:山田百次とはいつか一緒にやってみたいなあ、とぼんやり思っていたのですが、ある飲みの席で本当に軽いノリで誘ったら、じゃやろう、ってなって始まりました(笑)。もちろん、彼の魅力を自分ならもっと深くできるのになぁ、という夢みたいなものもありました。
僕はプロデュースとドラマターグ、あとは、制作費を浮かすために裏方のいろんなことをやってます(笑)。
作品の企画は一緒に立ち上げて、配役と設定を一緒に決めたら、いったん山田にバーッと書いてもらって、出来上がったものを二人で話し合いながら詰めていくという感じです。
日本の劇団制度の弱点は、劇団の代表を作・演出がやらざるをえないことだと、僕は思っています。
作家、演出家には作品を面白くすることに集中してもらい、できることなら権限や責任は分けておいたほうがより健全なんじゃないかなと思うのです。
山田:河村が公演全体のことをやってくれてる。なので自分はとにかく作・演出に専念できるんですね。その環境はとてもありがたいです。台本に関しても、二人で話し合いながら方向性を決めているし。
―今後、ホエイとしてどんな展開を考えていらっしゃいますか?
河村:北海道の次は南にくだりたいです。沖縄と台湾を題材にした作品を企画しています。ベトナム、フィリピンあたりまでフレームを広げてアジアとの国際共同制作をしたいです。
山田:今回は北海道を取り上げていますが、他の土地でもこういったことはできるし、気づかなかった魅力や問題などがまだまだ隠れていると思うので、そういったことを作品にしていきたい。
―三重のみなさんへPRを!
山田:堅苦しい話かと思われますが、暗くはなく笑える感じのテイストなので気楽に観てもらいたいです!
河村:演劇で火山活動を表現する、というかなり無茶なことをやっています。ほぼ素舞台です。天変地異にご期待ください!